隠しノート

僕は能力のあるゴミです

何もかもが楽しくなくなった件

このブログは僕の完璧な独り言集のようなものなので、このようにややネガティブなことも書く。というか過去のエントリー全体的に「自分について」のことをほぼ書いてきた。そうしないと死んでしまう生き物なのだ。(大袈裟)

 

で、最近色々分かってきたことがあって僕のように対して優れた能力もなく、成績は悪いけれど、地頭は普通よりやや悪目程度。できることは多いけどなんだか中途半端。

 

こんな人間は今、行動を見直すことにして自分に見合ったことをやろうとしている。でも、自分の全てを自覚して分かったのは、趣味や娯楽の全てをどうせ自分がやってもほぼ全てが60点止まりになるということが分かってしまったことなのだ。

 

これは性格によるもので、モチベーションとか現実感とかを考えたりした結果、必ず自分は上手くいかないのだと最近気がついてしまったのだ。

 

今までは没頭できていたことはのめり込めて楽しめたけど、今は全てのことをやっても何っにも面白くない。

 

自分の限界を作ってるとかじゃなくて僕はどう足掻いてもあるラインを越えることのできない性格なんだ。そういうものだ。壁に対して何度も挑戦した結果、諦めることになる。

 

厄介なのがそんな自分を許せてしまう甘さだ。同時に全ての趣味に対して関心を持てなくなり、もうどうでも良くなってしまった。今死んだとして悔いがない。

 

人生これからまだ長いのだけど、僕にできることは全てが無であり、僕ができることは誰かがより良い技術で代替してくれるだろう。

 

僕はかつて自分が天才的だと勘違いしていたことがある。バカなんだけど、実はもしかしたら…?みたいに自分自身に期待してたんだ。

 

僕はどちらかといえば本当に頭が悪いのと、できることと言えばこのように文章を書いて思考を整理することくらいだ。能力も低いし、やってることも大したことないし、だけどお金はややあるというところが自分の良いことだなぁとか考えたらめちゃくちゃ虚しくなってしまったんだ。

 

こんな環境も長くは続かないわけだし、僕はいつか本当に意味もなく散るだろう。

 

生きることに意味を求めてはいけない。自分で決めるのだ。とか言っても自分で決めたところで何?みたいに思えるのだ。

 

他人と比べてもダメだ。とか言うくせに資本主義は他人と比べてなんぼじゃん。

 

もう自分を天才だと思い込める幻想で生きられない。バカだと言う真実を基準に生きねばならない。

 

という感じで、マジで考え方一つで人は行動ができるし高みに登れてしまうかもしれない。勘違いしたまま生きるのも楽しいけれど、現実的に考えなければ痛いままだったのも事実だったのね。

 

今はマジで何もかもが楽しくないけれどこれは無限じゃない。今なのだ。未来に何かがさらに変わるかもしれない。

 

それを楽しみに今日も生きる。