生きにくい人の気持ちが、生きにくい人になってみて理解した
日本で生きにくいという人の気持ちが理解できなかった。
どこか自分という人間は上手くいっていて、そんな生きにくいと考える人達とは無縁の世界に自分はいると思っていた。
マンガの主人公のように思っていたのに、実は出演すらできていなかったという感覚で生きている。
つまり、僕はまさに生きにくいと感じる側の人間だったわけです。
え!みんなってこんな難しいことを考えながら生きてるの?
みたいに思うわけです。
で、僕は生きにくくないと主張することもできるし、生きにくいとも主張できるのでまとめておこうと思う。
今の日本が生きやすい理由
・ある程度のスキルがあれば、すぐに仕事につながってお金が稼げる
・結構無知な人が多いので、すぐ勉強するだけで優位に立てる
・とりあえず積立ニーサやっておけば安心
ほぼお金の意味合いだ。もちろん、これは僕の非常に歪んだ考え方なので参考にならないかもしれない。
続いて、生きにくい理由。
・普通の人は普通のことができ、僕にはできない(確認とか)
・凡人から脱せない
・これは才能だと思ってたことが、もっと強烈な才能に押し潰される
・スキルが無かったらと思うと結構怖い
・稼いだとしても、なんか金がねぇ
おっと、自分は稼いでる側の人間では無かったのか?
自分が凡人だと気が付いて、客観的に自分を見た時に意外とお金ないし、結構ヤバいやつだと思ってしまった。
天才まではいかなくとも、自分にはそれなりに良い素質を持っている人間だと勘違いしていた。
ちょっとここから話が変わってしまうのだけど。
ただ逆に言えば、自分のこの勘違いがなければずっと幸せだったかもしれないし、気づいたことで改善に向かえるという幸せもある。
自分という存在にもし浮かれている方は、今一度自分を凡人だと責め続けて絶望してほしい。
逆に自分が惨めだと感じる方は、今一度自分を天才的な存在だと勘違いしてほしい。
きっと人生においての真の楽しさが見つかる手がかりになるはず。僕はなんだか、腑に落ちてしまった。
人は行動をする。なんかやってる。
なんか得意なことかもしれんし、
苦手だけど頑張ってるのかもしれない。
だけど、考え方を切り替えるだけでそれは幸せにも不幸にもなる。
ただ考え方を切り替えるだけで、それは才能にもなるし、スキルにもなるし、ゴミにもなる。
考え方の切り替えというのは、とても楽観的で幻想的なものだ。
というわけで、僕はブログを書く才能がある。この記事を見た人なら僕の言っていることが幻に思えるかもしれない。
だけど、僕自身がそう思えれば幸せだし、そう思うことにしても良いわけだ。ただ、そこには「自分にはブログを書く才能がない」ことを理解してなければいけないのだ。
考え方を切り替えることで、生きやすさも生きにくさの両面を見ることができる。それは嘘かもしれないが、自分にとっての大切なことであれば、嘘なんだけど本当のことのように振る舞うのは良いことだ。
なぜなら、そんなことをしてるということは、お前にとってそれがちょっとは好きなことか、楽しいことなのだから。