眠れなくて
この隠しノートという謎ブログは僕がいつも放出できないことを放出する場として作られたけれど、マジで鬱だったんだと思える内容が過去の記事にたくさん書かれていた。
このブログは誰かに見せるものではないけれど、誰かが見られる状況にしていることで一応はちゃんと書こうという気持ちの整理をするものだ。
ところで僕は成功していないのに、成功とは自分がなんかやっちゃうことでお金を稼ぐことだ的なことが書かれていて、実は今少しだけワンチャンあるのでは?みたいな状態になっている。
節約することを覚え、僕は底辺のような生活をしているのだけどこの生活スタイルにしたことで外食の味に感動するようになったりするし、意外といいんじゃね?みたいな気持ちでいっぱいだ。
しかし、僕は今一つだけ深刻な問題を抱えている。僕が今までやっていた活動の行動を封じる人が出てきてしまったのだ。
別にいいんだけど、やや自由が失われてしまってなかなか難しい。
僕は自由であることがとても重要な人間で、誰かからの縛りを受けることがめちゃくちゃストレスに感じてしまうのだ。
そして、僕もできればその行動をしない方が望ましいと思ってる。でも今はその行動をしないと厳しいというのも事実だ。
つまりはこの状況から抜け出すために、僕はもう少し頑張らないといけないということで、本当に成功までのワンチャンスなのだ。
マジで厳しい世界で唯一生き残るための策がこれしか無いのも悲しいね。
そして僕はダメだった
やはり、僕はこの道で成功することなんかできない。
そもそも難しいのは分かる。
向いてないことを理解してるからこそ苦しい。
あんなに憧れていた生活だったのに、僕はその楽園で苦しんでる。
僕はなんてバカでゴミで劣悪な人間なんだろうね。
仕事のストレスの次は、自分の生き方に苦悩してしまう。
僕ははなんて贅沢なんだろうか。ゴミすぎる。
ストレス要因
ついにストレス要因となったものが終わりを告げようとしている。長かった。
そして、今日まで出来るだけ最小限に頑張ってきたけど、その頑張りさえも不要になるのだ。
メンタルを安定させることが人生においてかなり大切なのだと言うことを実感した。
おつかれ、俺。
ところで、今日死ぬとして、明日死ぬとして、俺は何をすれば後悔しないのだろう。
仕事を辞めた
ついに。
この日記に何も書く必要がないくらいにはメンタルに優しい。副業が本業に逆転する生活。
最初からこうすれば良かったのかもしれない。
仕事だからやると言う危険な思想
仕事を引き受ける時に、まずは出来るか出来ないかの判断が入る。
だが、時には今はできないけど出来るかもしれない仕事なんかもある。
そんな時に「仕事だから」やるんだみたいな考えでいると、割と潰れてしまう。
できない時に仕事だからなんとかするんだみたいなことをすると、心に対しての負担がやばいのだ。
だが、出来る時でも手一杯の状態なんかで余裕がないのもマジでヤバい。
こんな時に仕事だからやるとか言ってると死ぬ。
仕事だからやるという考えで仕事なんかしてはいけない。
今の時代は、なんだか優しい世界だからやりたいからやるという考えでなければならない。
ブラック企業もダメになってきたし、ホリエモンも好きなことをやれとよく言ってる。
こんなに良い状況になってきたのに、いまだに仕事だからやるみたいな状況にあることがマズいのだ。
仕方なくやるみたいなのは出来る限り減らした方がいい。人生は短いのだし。
プログラマー的な分かりにくさ
よく構成だけきっちりしていて、情報は書いてあるんだけどいまいち心に響かないなんていう構造化された文書がある。
プログラミングのドキュメント的なやつだ。
あえて表現するなら
プログラマーとは
プログラミングをするひとのことだ。
どのように学ぶのか
- YouTubeで学ぶ
- 参考書を買う
- 出来る人に教えてもらう
- プログラミングスクールに通う
こんな感じの文書だ。僕はなぜかこのような形式の文書がとても読みにくいと感じる。
ただし、情報は整理されていて分かりやすいとは思う。
なんだか、把握できそうな見た目をしているのに頭に入ってこない感覚なのだ。
いやいや、ブログなんかの見出しと同じやんけ!というツッコミも分かる。アレもなんだか実は違う感じがする。
本になると話は変わってくる。エッセイなんかは読みやすいのだ。
ただそこにデータを羅列し、「分かりそう感」を演出しているのに、いざ目を通そうとしたときに「情報」を摂取している感じがダメなのだろう。
そう。文章というのは、人の感情が乗ってこそ伝わろうとするものなんじゃないだろうか。
だから、個性のあるWEBライターとかの文章ってすごく読み進めたくなるし、情報も伝わりやすい。YouTubeなんかも喋り言葉だからこそ伝わってくる動画も多い。
プログラマー的に無機質にデータを並べただけで、後は各自でなんとなく把握をお願いします的な堅い文書になると文字に目を通しながら、一文に対しての情報処理量がかなり増えてしまう気がするのだ。
美味しいおでんの具一覧
- たまご
- こんにゃく
- つみれ
- はんぺん
- ウィンナー巻き
のようなものが掲載されていたとして、ここにはなぜたまごが美味しいのか、どんな感じで美味いのかがまったくもって伝わってこない。だから深掘りしようとするんやが。
深掘りしたとしても、たまごはおでんの具の中でも神っしょ!美味すぎる!みたいに書いてくれた方が伝わる。
もっとちゃんと書こうか。おでんの出汁が染み切ったゆで卵を食べてみると、しっとりとした白身が迎えてくれますよと。
だがパサパサな黄身はあからさまに弱点だ。しかし、おでんには汁というものがあり、これを黄身とともにすすることでおでんの他の具に負けないアクセントを演出しやがるのだ。
みたいなところまで書けて人に伝わると思う。が、分かりにくいので、一長一短であることも認めながらも、ドキュメントを書く時はもう少し深掘りして書こうと決意しました。
仕事をやめろという甘い囁き
Twitterで仕事をやめろとおすすめする人は偽善だみたいなツイートが回ってきた。仕事辞めた後はどうするの?みたいなフェーズになると「知らん」みたいになるやつ。
人生はお金を稼がないといけないので、仕事を辞めた後にもお金の供給は大切なのです。だから、仕事を辞める側の人が計画を立てて辞めなければいけないし、仕事をやめろとおすすめした人はある程度はその後のことを簡単に相談に乗ったりするべきではあるのかも。
まぁ、基本的に自分は自分にしか興味がないので、仕事を辞めた本人がどうにかするしかないわけです。
しかし、はたから見たときにこの人本当に仕事を辞めたほうが良さそうだと思うことはあるし、今僕は猛烈に仕事を辞めたいと思っているし、辞める予定だ。
貯金があるのとワンチャンがあるので辞める選択ができる。これも事実だ。
とにかく、仕事を辞めるのは自己責任だし、その後を決めるのも自分だし、誰かの甘い囁きもそれに従った自分の責任なのだ。
選択をするということは、だいたい自分のせいになるということだ。僕らは甘い囁きによって選んだことさえも責任を負わなければいけない存在なのだ。
ただし、自己責任という言葉は重いけれど、僕らは何度も選択して生きているわけだから、それでいいのだと思います。