プログラマー的な分かりにくさ
よく構成だけきっちりしていて、情報は書いてあるんだけどいまいち心に響かないなんていう構造化された文書がある。
プログラミングのドキュメント的なやつだ。
あえて表現するなら
プログラマーとは
プログラミングをするひとのことだ。
どのように学ぶのか
- YouTubeで学ぶ
- 参考書を買う
- 出来る人に教えてもらう
- プログラミングスクールに通う
こんな感じの文書だ。僕はなぜかこのような形式の文書がとても読みにくいと感じる。
ただし、情報は整理されていて分かりやすいとは思う。
なんだか、把握できそうな見た目をしているのに頭に入ってこない感覚なのだ。
いやいや、ブログなんかの見出しと同じやんけ!というツッコミも分かる。アレもなんだか実は違う感じがする。
本になると話は変わってくる。エッセイなんかは読みやすいのだ。
ただそこにデータを羅列し、「分かりそう感」を演出しているのに、いざ目を通そうとしたときに「情報」を摂取している感じがダメなのだろう。
そう。文章というのは、人の感情が乗ってこそ伝わろうとするものなんじゃないだろうか。
だから、個性のあるWEBライターとかの文章ってすごく読み進めたくなるし、情報も伝わりやすい。YouTubeなんかも喋り言葉だからこそ伝わってくる動画も多い。
プログラマー的に無機質にデータを並べただけで、後は各自でなんとなく把握をお願いします的な堅い文書になると文字に目を通しながら、一文に対しての情報処理量がかなり増えてしまう気がするのだ。
美味しいおでんの具一覧
- たまご
- こんにゃく
- つみれ
- はんぺん
- ウィンナー巻き
のようなものが掲載されていたとして、ここにはなぜたまごが美味しいのか、どんな感じで美味いのかがまったくもって伝わってこない。だから深掘りしようとするんやが。
深掘りしたとしても、たまごはおでんの具の中でも神っしょ!美味すぎる!みたいに書いてくれた方が伝わる。
もっとちゃんと書こうか。おでんの出汁が染み切ったゆで卵を食べてみると、しっとりとした白身が迎えてくれますよと。
だがパサパサな黄身はあからさまに弱点だ。しかし、おでんには汁というものがあり、これを黄身とともにすすることでおでんの他の具に負けないアクセントを演出しやがるのだ。
みたいなところまで書けて人に伝わると思う。が、分かりにくいので、一長一短であることも認めながらも、ドキュメントを書く時はもう少し深掘りして書こうと決意しました。