隠しノート

僕は能力のあるゴミです

本を読むのと人の話を聞くことの意味をもっと真剣に伝えよ

よく頭の良い人たちは「本を読め」とか「人の話を聞け」とか言うと思う。というか言ってる。

 

僕はかなり頭が悪いので、この本を読むことの重要性を30歳を超えてようやく理解したまである。でも少しずつ分かってきたこともあるので、頭の悪い人たちにも頭の良い人にも見てもらいたい。

 

まず頭の悪い人間ってのは本に出会わない。漫画には出会うけど、なんだかコンテンツの消費でしかない。※本来漫画にも伝えたいメッセージのようなものがあって、そこから教養を得ることはもちろんある。

 

頭が悪いと言うのは、自分だけで問題を解決することだと思う。だから答えが独りよがりになってしまう。しかも、論理もぐちゃぐちゃなわけだ。テストの解答を解けないのも教科書を解読できなかったりするからだ。それを教えてくれるのが先生だけど、先生の話すら理解できないと教科書も読めない。

 

でも自分の好きなことだと、ついつい調べてしまったりする。その調べるってのは大抵人の意見だったり、本を読んだりとかネットの記事を見たりとかすると思うんだよね。これは頭の悪い人でも同じ。

 

つまり、例えば今自分の得意なことがあったりするってのは大体誰かから教えてもらったことだったり、本から知識を得た内容だったりするわけだ。

 

人は一人では生きていけないとよく言うけれど、どちらかといえば、人は一人だとバカになるとか言った方がいい。

 

今こうしてiPhoneでこの記事を書いてるけど、まずiPhoneを作った人達がいて、このはてなブログを作った人がいて、サーバーを管理する人がいて、そのサーバーにもOSがあったりしてその OS作った人もいるし、パソコンのキーボードを作った人もいるし…みたいに考えると、人はたくさんの人に支えられて生きていることを実感できる。

 

頭の悪い人がまず知るべきなのは、「この世界は一人で成立していないことを自覚する」ことだ。気付くのが超大事。何かつまづいた時に「今一人で解決しようとしてない!?」と自問自答するようにする癖をつけたほうがいい。

 

で、今僕はあるVTuberの話を聴きながらこの記事を書いてるのだけど、僕は普段VTuberなんて見ないし、かなり珍しいのだけど、こうして話を聞くと言うことはその人の頭の中を覗いてると言うことなんだな。そして、この時に大切なのは話す側の人がしっかりと具体的に言語化をするということ。

 

言葉って抽象的にも伝わるし、具体的だとより鮮明に伝わる。この鮮明さと言うのはその人の脳みその中身をしっかりと絞り込んだものなんだ。僕がこうして文章にしてるのもできるだけ頭の中を取り出すように書いているけど、これこそが言語化と言えるかも。※本来はもっと相手に伝わりやすいように調整すべきだし、もっと伝わるような書き方があります。僕のは駄文だけど、雑に書かせてもらってます。

 

で、言語化と言いましたが、本ってのはその言語化したものを限りなく分かりやすく編集した上で本屋に並ぶクオリティのものなんだよね!つまり、一冊何か気になる本を読んだだけでもそれは「知識」だし、優位に立てる。優位に立つと言うか、前進してる。学習してるって感じ。

 

これこそが僕は「勉強」だと思う。この記事は「本の重要性をみんなに気付かせる」という内容ですが、この記事ですら僕の知識を不器用なりに伝えようとしてるものなんだよね!でも残念ながら、バカが書いたものはクオリティもバカなのだ。僕はバカクオリティの脳みそを使ってこの記事を書き出しているわけだから、書いてあることは信用に値しないものかもしれない。

 

そこで、頭の良い人はこうしたバカの記事を見たとしてもなんか良い感じに「この人はこう言うことが言いたいんだな」ってのを、受信してくれたりする。頭の良い人は言わば、たくさんの本を読んだり人の話を聞いた人の先駆者であって、尚且つ脳みその構造も元々良かったりする人なんだ。

 

で、そう言う人が「なるほど!頭の悪い人にはもう少し本を読むことの重要性をしっかり伝えないといけないんだな!」ということを汲み取ってくれて、世の中に広めてくれるというのをなんとなく期待している。他力本願だ。

 

でも、人は一人ではないわけだから、バカにできるのは「分からん」と言うことをこうした形でもしっかりと相手に伝えることくらいなんだ。

 

誰かが考えたことは、誰かの糧になるし、その糧は道具にもなるし、その道具を使って新しい何かが出来てという繰り返しの世界に僕らは生きている。バカな僕らも頭の良い人も、誰かが考えてくれたことを知識として蓄えていこうぜ!