人生における成功は簡単に見えるものではない
成功者による成功の定義は、ものすごく簡単にまとめられてしまっていて、見る人が見れば勘違いしてしまうものが多い。
僕は成功とは、まず自分の能力に絶望して、次に自分のできるわずかなことを見つけて、そのわずかなことが好きになって継続できて、しかもそれをお金にすること。なのだと思う。
最初の絶望ステップはいらない人もいる。最初から才能を自覚していれば必要ない。
次に自分にできるわずかなことというのは、最初からあるものでもないし、今までの蓄積で偶然生まれた産物かもしれない。だけど、やってこなかったことが奇跡的にうまくいくことはほぼないだろう。
次の好きになって継続できてというのは、わずかなこと自体が好きになってないことというのはよくある。だから、そのわずかなことを時間をかけてでも好きに変えていくのが大切。最初から好きなら問題ない。このわずかなことというのは、基本複数選択肢があり、どれもが可能性があるものだ。
最後のお金にするというのは、資本主義に従って、しかもここは日本なので税金とか支払わないと生きていけないから、お金にしろよということだ。
ぶっちゃけお金にならないなら、ここに成功はない。ものとして売れるのか、広告収益になるのかいろいろある。
仕事をしていて「まぁいいか」と思える内は、それを続けるべきだ。成功の手がかりは「無理」になってから開花するものなのだと思う。
道がどんどん狭まっていく感覚の少ない選択肢でできることが成功の鍵と呼ばれるやつなのかもね。
僕はマジで色々やってきたけど、そのどれもが出来るようになったし、納品とかも出来るけど、それは自分の人生ではないと分かるようになった。
自分の人生はこうだというのが見えなければ成功とは言えない。
人生の選択はもっと贅沢にすべきなのかもしれない
自分の中でイケると感じたことは、きっと多分イケる。
そして、あとは勇気を持ってもっと贅沢に選ぶべきなのかもしれない。
誰かに対して時間を使うのが疲れたら、自分だけしかできない道を選ぶしかないのだろう。
改めて僕はダメ人間だった
仕事はできないわけではないのだ。
そして培ってきた技術も無駄だと思わない。
だけど、この技術は別にやりたいことではないのだ。
つまり、できるんだけどやりたくはないみたいな。
時間さえあれば完成まで漕ぎつけるみたいな能力はあるんだ。
だが、根本的に向いてない。
蝶々が飛ばずに地面を這って移動するように。
お前には羽があるだろう。みたいな。
僕にとっての羽は今やってるようなことではないのだ。
多分、会社員的な生き方ではない。
社会不適合者ならそれらしく生きるしかないのだろう。
優しすぎる世の中 vs 金
無理をするな。休め。残業するな。
みたいな感じで、世の中は優しくなっている。
僕も今16時間働いて、まさに無理をするなと言い張りたいところだ。
しかし、無理をするなという世界ではお金は稼げないということになる。
お金を稼ぐというのは自分の時間をできるだけ仕事に注ぎ込んでいくことで、それはもう自分の時間を捨てるようなものだ。
仕事をすることが自分の時間であるという人は別にいい。だが、大半の人は僕のような凡人だろうから、仕事とは自分の時間を奪うものだろう。
というわけで、ひろゆき的な贅沢をやめて生活の質を落としてでも幸せに暮らす考えにシフトした方が良いのかもしれません。
ただ、結婚をしたり介護とかが始まるとそんなこと言ってられません。
お金が必要になっていきます。
という国のシステムがある以上、割と詰んでいるのではと考える人もいるだろう。
しかし、確実に言えるのは、僕らの時間をお金なんていうくだらない物のために捧げてはいけない。だけどお金は稼がないといけない。
この二つを両立するちょうど良さを見つけることが大事なのは知っているでしょうが、多分マジで大事なのだと思います。
これらを両立するか、お金めっちゃ増えたら人のことを人は成功と呼ぶのだろう。
やりたくもないことをやり続けるのは悲しいことだ
そもそもやりたいこととは何か。
やりたいことの見つけ方は何か。
そんな答えのないものを探しながら生きている人がほとんどでしょう。
だから、せめて「得意なこと」に逃げてやりたくもない得意なことで生きている。
そんな人は多いのではないでしょうか。
人は得意なことで、やりたいことをやって生きるべきだ。
これが「好きなこと」には直結しそうですが、
実は好きなことではないかもしれない。
やりたいにも色々細かな分類があるはずです。
整理整頓は苦手だけど、ファイルの命名規則を考えたりするのはちょっとやりたいとか。
掃除は嫌いなはずなのにトイレの掃除だけはやたら面白いとか。
そういう日々の何気ない得意なことをかき集めて、
忘れないようにメモとかしていくのって重要な気がするんですよね。
やりたくないけどやらないといけないことは最小限に、やりたいことでお金が稼げるのならそれはかなり幸せなはずです。
ホリエモンもやりたいことはやれって言ってるわけです。
何も彼のバイタリティとかを真似しろと言ってるわけじゃない。
というか自分はホリエモンでは無いのだから、真似は不可能です。
例えばホリエモンには音ゲーでオールパーフェクト出せって言われたらすぐにはできないはずなんです。(いや、彼なら練習次第でいけるのでは…!でもそこに時間を費やすほど暇はないはずです)
でも音ゲーマーとかはいけるわけなので、速攻でYouTube始めるべきです。
こんな感じで、自分の得意なことで意外とやり続けられるとかいうことはとても重要です。
しかも他の人があまり参入していないものは、情報源としてオリジナリティが高いです。
誰もやっていないことはたしかに人口が少ないし、大きな数字とかには繋がらないかもしれない。
だが、そこには活路がある。
今の時代、お金を稼ぐ方法なんて情報発信かモノを売るか時間を売るくらいしか無いわけですから、
ブログやらYouTubeやらでのうのうと生きればいいのではないでしょうか。
超鬱な人の思考
というわけで、今とてつもなく投げやりになっていて超鬱です。
いや、躁状態なのかもしれない。
日本に住んでいる以上、幸せだということを噛みしめながら、僕は今働く意味とかお金とかに興味を失ってしまい、無敵の人レベルのどうでも良さでこの日記を書いている。
鬱と言えばネガティブですが、僕の場合はなんだか蓋が常に塞がっているような気持ち悪さがあって、いくら蓋を開けても無限に塞がれるループに陥ってるタイプの鬱っぽい。
だから、生きることに希望はないまま、ただ生きている。
楽しいことはしている。しかも、人生における成功を少し掴みつつあるのだ。※秘密だが。
僕は多分自由にうだうだ生きたい動物のようなもので、本当にうだうだとアニメやゲームをして人生を終えてしまってもいいタイプの奴だ。
本当にそれだけでいい。それ以上を望まない。
超鬱とか言いながらそこまで絶望的な状態じゃないように見えるでしょう。そうじゃなく、僕はなんだか全てがどうでも良いので、ワンチャン奇行に走ることもできるし、とにかくダメなのだ。
お先真っ暗なのではなく、先に行きたくないし、楽をしていたいだけなのだ。でもできない。それがとにかく悲しい。
結婚生活を上手くやっていくには幸せの環境構築が大事だよね
僕は寝るのが好きで、ゲームするのが好きだ。
食べ物はそんなに豪華じゃなくていい。
どこか遊びに行かなくても幸せなタイプだ。
だから、僕は旅行好きな人とか飲み会好きな人とか、車大好きな人とかスポーツ大好きな人とかの考える幸せは理解しにくい。
ただ、分かり合えないわけじゃない。それをやることに幸せを感じるのも分かるからだ。
人は1人では生きていけないので、もしも、そんな人と一緒に暮らすみたいな話になった時に大切なのは協調性的なものか、諦めてしまうか、逃げるかといったものになってくる。どれが良くてどれが悪いと言う話ではない。
人は幸せになっておかないと勿体無い。
だから、互いの価値観が理解できない場合の対処法は調整していく必要がある。
例えば成田悠輔さんの夫婦はなんか距離が離れてるらしいですが、あれはあれで互いに上手い具合の調整なはずで、ずっと一緒にいることが幸せなタイプもあれば距離を置かないとなんだかキツいタイプもいるはずだ。
こういった時の「環境をちゃんと整える力」というのはとても大事なのだと思う。
例えば、1人の時間が欲しい人は夫婦別々の部屋を用意するとか、ずっと一緒にいないと嫌だタイプの人と1人が好きな人の場合は、どちらかが折れるか離婚をする(離れた方が互いに幸せ)かみたいなのが大事。
んで、こういったことって学校では教わらないし、なんか人生の経験則的なものから、そしてなんか多分本屋でなら学べることなんだと思う。
人と上手くやるというのは、互いの幸せを共有して、その幸せが活きるような環境構築をすることが長くやっていく上でとても大切なんじゃないかかと思ったわけです。
と、きっと生涯独身の子供部屋おじさん候補の僕が適当に考えてみました。
僕は好きな人が出来たりすると「この人守りたい!」みたいな謎の感情が湧き出てくるタイプなので、自分の幸せを犠牲にしてしまうような不幸なタイプです。なので今が一番幸せなのかもしれません。