隠しノート

僕は能力のあるゴミです

愚痴ブログは作った方がいい

これを言うとアレですが、Twitterや友人に愚痴るのではなくこのブログのように誰かに見られているがアクセスを狙わないブログに愚痴を書くのがいい。

 

なぜかと言うと、Twitterは人間関係のツールなので愚痴を言うだけで嫌われてしまったりするのです。

 

実はこんなに深刻に悩んでるんだみたいなことなら良いのだけど、泣きつくような愚痴は本当に勿体無い。

 

かと言ってこっちの愚痴ブログでも○ね的な内容はそこまで書けない。そこまで行きたいなら記事を非公開にした方がいい。

 

記事を公開するのも大切。記事を非公開にすると、独りよがりな文章になりすぎて「誰かが見てる感」がなくなってしまう。あと文章を完成させるモチベーションも消える。

 

 

察して欲しい人(察してちゃんと言うらしい)

会話で察して欲しいと考えながら相手には会話が成立するように遠回しに伝えて、裏ではめっちゃストレスが溜まってるなんてことはあると思う。

 

僕はこの察して欲しい人と会話をするのがめちゃくちゃ苦手だ。

 

会話はなんだか成立しているのに、はぐらかされたり盛り上がらなかったり。

 

本心を言わないと伝わらない。※この記事の内容は明確に「嫌いだ」と言うものだから相手に伝えてはいけないことだ。

 

「気持ちは嬉しいけど、あとは自分で努力するのでありがとうね!」くらいのことは言えると思うんだ。

 

相槌だけ打たれても分からない。一方的にストレスが溜まっていて愚痴るのは違くない?それを晒されるこっちの身になって欲しい。

 

俺は悪者になってしまっているわけだからね。もう求められない限り、誰にも教えたりしないし、オススメもしないようにするよ。

 

僕の趣味は作品を楽しむことくらいに留めておいて、誰かのために自ら解説をしたり、アドバイスをしたりはやめることにする。クソ人間と認定されるからだ。

Twitterの有料化について

僕はTwitterの有料化にめちゃくちゃ同意です。

確かに無料で使えないのはクソですが、SNSがこうして広まりすぎてしまったことは不幸なのかなぁと。そもそも無料というのは結構幻想的なのかもしれません。(これについては話が飛躍しているのでスルーで)

 

Twitterが有料化することで

・アンチ的なアカウントが減る可能性が高い

・一般人の利用者が減ることが期待できる

フェイクニュース的なものが減る可能性がある

 

とか言うとものすごくデスノートのキラ的発想ですが、バカな利用者やアクセス稼ぎだけのための情報を発信するメリットが薄れて、コストだけがかかる状態を作れれば、世の中の情報はそっちの方がまだマシなんじゃないかと。

 

今の世の中のニュースが流れれば即座にバズり、1週間後には忘れてしまうという状況はひどいと僕は思います。あなたは一週間前に起きた炎上やニュースを覚えていますか?僕はマジで思い出せない。

 

SNSが出る前の継続的な話題について、みんなでゆるゆる考える方が絶対健全だと思うのです。

 

何が言いたいのかごちゃごちゃになっちゃいましたけど、とにかく今のSNSはあんまり良くない。嘘とか人に迷惑をかけながらお金を稼げたり、そのまま迷惑になったりしますから。

 

それを解消するためにTwitter有料化はワンチャンあるのではと考えました。

 

利用者が減れば、発信する人が減って、雑音だらけだった情報の洪水も川のようになるんじゃないかと。

 

そのくらいになれば、今よりはマシじゃね?と僕は思うのです。世の中的に。

 

お前は情報を発信することが悪なのか?みたいに考えてるといわれると困るのですが、僕はブログのようにまだ考えながら発信することのほうが良いと思ってて、Twitterのような条件反射的な発信で、相手の人生を終わらせる可能性すらあるものはよろしくないなぁと考えています。

 

しかもブログ程度であれば誰かのタイムラインに流れるわけじゃないし、良いかなと思うのです。

 

適当な発言が、たくさんの人に見られて、それでいて情報が拡散してしまう性質を持っているというがヤバいのかも。

 

2007年くらいから2022年にかけての情報に振り回される社会は、どのように変わっていくのか…!

 

知らぬ間に傷つけてしまうのを直すには

知らぬ間に人を傷つけるという原因は

 

・余計なひと言を言う

・(自分は善意でやっていても)必要とされていないアドバイスをする

・ハッキリと本人に伝えすぎる

ナチュラルにマウンティングしている

・自然と自慢している

 

というような無意識の発言か、良かれと思ってやってしまったことに分けられます。

 

僕はこのどれもを何となくやってしまっていました。

これをされたと考えるとめちゃくちゃ嫌なのに、自分がやってる時は全くもって悪意がありません。

 

自分がさっき挙げた行動をやってしまったかどうかというのは、受け取る相手によっても本当に感謝してくれる人もいるし、逆に実は傷ついていたなんてこともあるのです。

 

だから、なかなか気が付きにくい。自分がそんなキャラクターで浸透しているから許されている可能性とかもある。もちろん、許されてないこともある。

 

無意識に傷つけてしまう僕らができることは、自分がやられて嫌なのかどうかを想像したり、誰かにアドバイスをもらったり、教えてもらったり、自分から「私ってこんなところある?」と聞いてみたり、色々試すしかない。

 

ぶっちゃけこの記事を書いた直前に僕は相手に謝ってきた。相手が許してくれるかどうかは分からん。

 

よほど傷つけていたなら修復不可能だし、諦めるしかない。

時間が経って許してくれるかもしれないし、意外と大丈夫かもしれない。

 

だけど、この心の爆弾を手っ取り早く取り外す行動として謝るのは完璧な行動だと思う。

どんなに相手を傷つけてしまっていたとしても、僕らは相手よりも気付かぬうち自慢してしまったり、上から目線で物事を教えたりしてしまったわけなのだから、どう捉えられても仕方ないです。

 

お前の責任なのだ。だけど、一つ。一つだけ無意識に発した僕らが救われたいのは、その善意は本物だったということですよね。

 

僕らは悪いことをせず、良いことをやった気でいる。もちろんこれは勘違いで、ダメなのだ。ダメなのだけど、善意なのだ。

 

しかも、悪気があったということを相手に伝えると「だから許してね!」というニュアンスさえ与えてしまう。

 

それでも、僕らは善意なのだよ。この善意は本来温かいもののはずで、相手にちゃんと伝わればめちゃくちゃメリットのあることだったりする。

 

そう。僕らがやったことは悪いことなのだけど、善意は確かにあるんだ。ネットの記事を見ると無意識側が全て悪いように書かれる。そりゃそうだろう。もちろんそうだ。

 

でも、何か心に引っ掛かるのは僕らは相手のためを思って伝えたかった「善意」なのだ。これは決してもう相手には伝わらないのだけど、確かに温かいものなのだよ。

 

この「善意」は、今や「悪魔」のようになってしまってるけれど、僕らは優しかったんだよ。絶対。これだけは言い切れる。

 

でも不器用で、自慢っぽくなってしまったり無意識だったり、説明が下手だったり、相手を下げてしまいながら伝えてしまったんだ。それは僕らが100%悪いよね。そんなことは承知だ。

 

しかしこの「善意」だったことは誰も救ってくれないし、それをどこにやればいいのかも分からない。

 

僕が考えたものでよければ受け取って欲しい。

これは気付かせてくれた謝った相手に対して全力で感謝するしかない。

 

その人間関係はもう修復不可能かもしれないけれど、謝れた時点で偉い。僕らはがんばったよ。

 

心は苦しいかもしれないけれど、それでいい。人間関係は戻らなかったのだとしてもそれでいい。偉い。

 

僕らがやってしまったことは明確にクソだ。ダメだったんだ。そんなことを受け入れて、もう二度とやらないように気をつけていこう。

 

ちなみに僕は今でも心が痛いけど、謝れたことで自分もすっきりしているし、成長をしたのだと思う。

 

僕らは本来優しい人間だからこそ心は痛むんだ。この記事を読んでるってことは相手よりも優位に立ちたかった自分もいたはずだけど、今はもう恥ずかしいことだったと。

 

その恥ずかしさは勉強代として、心に傷を負ってみに染み込ませておこう。僕らは気付かぬ内に悪いことをしたのだから。

 

最後にもう一度言うけれど、本当に悪気はなかったしこの「善意」も救われないけれど、僕らは一歩成長したのだよ。

 

二度と同じ過ちを繰り返さないように頑張ろう!

 

 

強みや弱み

自分の強みはコレだ!と思うものに没頭できることだ。これがメインウェポン。

 

あとは審美眼がややある。ツール使いこなしたり覚えたりはできる。まぁそんなもんだ。気になる知識を取り入れることはできる。あと駄文が書ける。こんなもんだ。

 

人には強みや弱みがあるというけれど、ポケモンでいう種族値が低いやつの強みが弱いように、弱い存在は弱いのだ。

 

そこを受け止めるまでにクソ時間がかかった。でも良かった。

 

理由はこのまま勘違いして生きるよりも楽しい未来が待っていそうだからだ。人は学べるわけだし、後天的なものというのは凄い力を持っていると思う。

 

例えば、めっちゃ引きこもりのやつがアニメめっちゃ見ていたとして、アニメの知識で勝てるかっていうと多分負けるんだよ。

 

人生のほとんどは知識の差で意外と有利不利ってのが決まったりする。元々頭の良い人はより知識を蓄えられるし、それこそ有利なんだが、いくらバカでも知識を蓄えて行動はできる。

 

強み弱みなんて、結局はその人が過ごしてきた過程で生まれたものに過ぎないし、ポケモン的な種族値を自分に当てはめて低いからと言って、そいつは後天的に強くなれる。

 

コイキングハイドロポンプ使うみたいなもんだが、他のはねるだけのコイキングより強い。

 

まぁ、努力をしてもその程度しかならないわけだし、僕らのような雑魚はさっさと楽な抜け道でぬくぬくと幸せに暮らすしかないのだ。

実現不可能

やぁ。何か書きたいと思ってブログを開設してみたよ。

名前は特にないけどzapとでも呼んでくれ。

 

僕には悩みがある。

細かくは言わないけど、人には向き不向きというものがあると思う。

僕の向いていることは何の役にも立たないんだ。

 

自分に一切の得がない。

 

僕はみんなの幸せを願っているよ。

このブログを読んでくれた人もね。

 

そんな性格をしてるので終わってる。

仕事には困っていないし、生活もそれなりに幸せだ。

僕はただのいい人なのだろう。

 

でもこれ以上先の幸せなんか無いし

世間一般からしたら僕の生活は多分むなしい。

 

これを変えようともがき続けてるんだけど、

変える宛てが無い。

もっと色んなことをやれと言うかもしれんが、興味がない。

 

やってみたら楽しいことがあると言うけれど、

やってみても面白く無いことの方が多い。

 

そこから何か切り口を見つけて新しいことをやろうと言う気にならない。

こうして適当な文章を書くのは楽しい。最高だ。

 

ところで、インターネットっていつからちゃんとしてしまったのだろう。

こんなことを言うと僕がインターネット古参っぽいのがバレるけど、もっと適当でよかったと思うんだよね。

 

適当で楽しいあの世界が消えてしまって、本当に居場所が無くなってしまったという気持ちです。