隠しノート

僕は能力のあるゴミです

知らぬ間に傷つけてしまうのを直すには

知らぬ間に人を傷つけるという原因は

 

・余計なひと言を言う

・(自分は善意でやっていても)必要とされていないアドバイスをする

・ハッキリと本人に伝えすぎる

ナチュラルにマウンティングしている

・自然と自慢している

 

というような無意識の発言か、良かれと思ってやってしまったことに分けられます。

 

僕はこのどれもを何となくやってしまっていました。

これをされたと考えるとめちゃくちゃ嫌なのに、自分がやってる時は全くもって悪意がありません。

 

自分がさっき挙げた行動をやってしまったかどうかというのは、受け取る相手によっても本当に感謝してくれる人もいるし、逆に実は傷ついていたなんてこともあるのです。

 

だから、なかなか気が付きにくい。自分がそんなキャラクターで浸透しているから許されている可能性とかもある。もちろん、許されてないこともある。

 

無意識に傷つけてしまう僕らができることは、自分がやられて嫌なのかどうかを想像したり、誰かにアドバイスをもらったり、教えてもらったり、自分から「私ってこんなところある?」と聞いてみたり、色々試すしかない。

 

ぶっちゃけこの記事を書いた直前に僕は相手に謝ってきた。相手が許してくれるかどうかは分からん。

 

よほど傷つけていたなら修復不可能だし、諦めるしかない。

時間が経って許してくれるかもしれないし、意外と大丈夫かもしれない。

 

だけど、この心の爆弾を手っ取り早く取り外す行動として謝るのは完璧な行動だと思う。

どんなに相手を傷つけてしまっていたとしても、僕らは相手よりも気付かぬうち自慢してしまったり、上から目線で物事を教えたりしてしまったわけなのだから、どう捉えられても仕方ないです。

 

お前の責任なのだ。だけど、一つ。一つだけ無意識に発した僕らが救われたいのは、その善意は本物だったということですよね。

 

僕らは悪いことをせず、良いことをやった気でいる。もちろんこれは勘違いで、ダメなのだ。ダメなのだけど、善意なのだ。

 

しかも、悪気があったということを相手に伝えると「だから許してね!」というニュアンスさえ与えてしまう。

 

それでも、僕らは善意なのだよ。この善意は本来温かいもののはずで、相手にちゃんと伝わればめちゃくちゃメリットのあることだったりする。

 

そう。僕らがやったことは悪いことなのだけど、善意は確かにあるんだ。ネットの記事を見ると無意識側が全て悪いように書かれる。そりゃそうだろう。もちろんそうだ。

 

でも、何か心に引っ掛かるのは僕らは相手のためを思って伝えたかった「善意」なのだ。これは決してもう相手には伝わらないのだけど、確かに温かいものなのだよ。

 

この「善意」は、今や「悪魔」のようになってしまってるけれど、僕らは優しかったんだよ。絶対。これだけは言い切れる。

 

でも不器用で、自慢っぽくなってしまったり無意識だったり、説明が下手だったり、相手を下げてしまいながら伝えてしまったんだ。それは僕らが100%悪いよね。そんなことは承知だ。

 

しかしこの「善意」だったことは誰も救ってくれないし、それをどこにやればいいのかも分からない。

 

僕が考えたものでよければ受け取って欲しい。

これは気付かせてくれた謝った相手に対して全力で感謝するしかない。

 

その人間関係はもう修復不可能かもしれないけれど、謝れた時点で偉い。僕らはがんばったよ。

 

心は苦しいかもしれないけれど、それでいい。人間関係は戻らなかったのだとしてもそれでいい。偉い。

 

僕らがやってしまったことは明確にクソだ。ダメだったんだ。そんなことを受け入れて、もう二度とやらないように気をつけていこう。

 

ちなみに僕は今でも心が痛いけど、謝れたことで自分もすっきりしているし、成長をしたのだと思う。

 

僕らは本来優しい人間だからこそ心は痛むんだ。この記事を読んでるってことは相手よりも優位に立ちたかった自分もいたはずだけど、今はもう恥ずかしいことだったと。

 

その恥ずかしさは勉強代として、心に傷を負ってみに染み込ませておこう。僕らは気付かぬ内に悪いことをしたのだから。

 

最後にもう一度言うけれど、本当に悪気はなかったしこの「善意」も救われないけれど、僕らは一歩成長したのだよ。

 

二度と同じ過ちを繰り返さないように頑張ろう!