隠しノート

僕は能力のあるゴミです

これからの時代は「興味を持つ」ことと「学ぶ手順」が武器になる

中学生や高校生の頃、なぜ自分が勉強出来ないのかがわかった。

 

結論から言うと、何も理解せずに場当たり的にものを覚えようとしていたからである。

 

そして頭の良い人や、教養のある人は基礎がしっかりしていて、大人になっても廃れぬままその知識を保有している気がする。

 

で、基礎というのは手前から順番に理解することなんだと思った。そもそも学校教育とはまさしく手前から教えていて、足し算ができないと掛け算や割り算が難しいし、ひらがなやカタカナを覚えないと漢字が読めないとか、そんな当たり前と思われることが分からなかった。というか、目を逸らしていた。

 

だから、勉強の仕方というのは手前から順番に覚えていくことが大事だし、「覚えてから」次に進むということがものすごく大事なのだ。

 

中学生とかでこんな当たり前のことはよく分からなかった。なんとなく気が付いていたけど、違うっしょとか思ってやってなかった。だからバカだったのだ。

 

テスト範囲というものがあるから、「その範囲」だけやるみたいな。そんな勉強方法になっていた。

 

ところで、文系的なことも同じことが言えるのだろうか。

 

僕は歴史とか地理に全く興味が湧かない人間で、マジで1192作ろう鎌倉幕府くらいしか覚えられなかったのだけど、昔の人物が戦をやって勝ってこの国を治めたみたいなことを言われてもマジでピンと来なかった。というか、今もピンと来ないのだけど、みんなテストの点数が高かったような気がする。

 

戦国時代めっちゃ好きな人とかの話を聞いても、いや!この武将がカッコよくてー!みたいに言われても、マジで何がカッコいいのか分からん。のだ。

 

地理とかもこの県の名産物はこれ!とか言われてもふーんという感じで、覚える気になれなかった。都道府県の暗記も今もできぬ。

 

国語だけは自分が使う言語なので、すごい理解できたの。

 

で、これ思ったんだけど文系的なものは割と暗記に近いというのもあるのだけど、割とオタク的な能力が求められるのかもしれない。

 

理解は手前からの学習なのだけど、文系は興味を持って覚えるのに似ているのかも。

 

例えばドラゴンボールには孫悟空がいて、そのライバルにベジータがいて、息子は悟飯がいて…というように登場人物がいて、ストーリーを追うようにして展開と登場人物が増えていくという感じだ。

 

その上で、ここで新しい技を覚えるとか、ここの人間関係が良かったから将来結婚したとか。

 

歴史を考えると完全にオタク的な覚え方を求められる気がする。んで、僕は歴史に何にも興味が湧かないので、やっぱり覚えるのは無理だったのかなと思う。地理も北海道はこれが美味くて、場所はここなんだよ!とか、割とどうでも良いので、覚えられなかったのか。

 

ただし、僕自身はこの興味がないからやらないという状況をなんとかしたい。興味を持つには無理矢理にでも浸かるしかないと最近は思う。

 

多分、技能的に基礎が積み重なっていくものは、理系的な勉強方法に近いのだと思う。

んで、興味を持たないと始められないものは文系的なものなのだと思う。

 

興味を持つまでは文系的で、興味を持った後に技能が求められれば理系的な脳の使い方をするのかもしれない。

 

そうか。だから、技術や体育や家庭科や情報や音楽や美術といった理系や文系以外の科目があるのか。

 

情報と国語以外苦手だった自分が、情報と国語だけでなんとかしてきてしまって、この歳にしてやっと意味が理解できたことにとんでもなくバカさを思い出してしまった。

 

きっと僕の人生経験で、国語や情報以外の、その他の勉強が積み重なって変なところでは頭良いところもあるという謎の能力の正体に気がついた気がする。

 

ここまで書いておいてあれだけど、やはり「興味を持つ」ということがとても人生では大事なのかもしれない。興味を持つためのテクニックのようなものがあれば、僕は歴史にも地理にも詳しくなれるのかもしれない。

 

意外と技能的なスキルを磨けるわけなので、スポーツとかもいけるのかもしれない。これもやはり、興味を持たないと何も始まらない。

 

僕は何も興味がないからこそ、学校で学ばされてしまう教科について真剣に考えられたのかもしれない。