SNSはやはり罪深いサービスで人々を歪ませたツールなのかもしれない
これは個人の感想です。タイトルは大袈裟です。
今社会問題は色々あるけれども、戦争とかコロナによって人々はやや萎縮気味だったりする。2010年代の気楽さ、2000年代のSNSが無い頃の感覚を思い出さないとダメなんじゃないかと思う。幸せが失われていく感がある。もちろん僕個人は幸せだけども。
イーロンマスクのTwitterの方針転換は、Twitterが有料となって「お金にほんの少し余裕のある人の娯楽」程度になったら嬉しいな。TwitterやFacebookは特に今の日本をダメにするツールになってると思う。
SNSは特に「人が目指すべき先が見えてしまう」ツールだと思っていて、僕が素人なりに影響を受けたのは芸能人の悩みとか、アイドルの苦悩とか、高学歴の人でもヤバいとか、思ったよりアホな人が多いとかとか。なんだか、夢が見れなくなってしまった感覚というのかな。見えすぎてしまう。ちなみに僕はこれらの情報が無ければ間違えて、有名人になろうと足掻いて一生を終えたと思う。(これは個人的に良かった笑)
その上で今は多様性の波がきてるよね。日本だとそこまで馴染みなかったと思うけど、海外ドラマとかゲームとかの表現で多様性の波がなだれ込んできてる。だからトランスジェンダーとか受け入れよう!みたいになってる(悪いことじゃないよ!)。これもSNSが無かったらこうなってなかったのかもしれない。そんな主張がSNSで出回り拡散されて作品にも影響したんじゃないかと。
というわけで、SNSの負の側面は思うに将来を閉ざし、情報の圧力に押し流されてしまい、個人の主張が歪んでしまうことにあると思う。これはフェイクニュースとかも含む。
良い側面としては、上手く使えば影響力のある発言ができて、承認欲求が満たされることくらいかなと。あとは良い商品やサービスを浸透させる力はあるかも。
まぁ、こんな感じでSNSがちゃんと活きるのはゆるいコミュニケーションと、マーケティング領域くらいかなぁと。
ライフログとしてはあまりに向いてなさすぎるし、個人の感想も下手すれば悲しい気持ちになったりするわけだ。SNSはもはや個人がルンルンで使える優しい世界のものではない。気がする。
あとコロナはもういい加減受け入れるしかないかと。病状がキツいのも分かるけれど、それも受け入れるしかない。マスクをつける空気感とかもう終わりみたいになって良いと思う。マスクはつけたい人が付ければ良いものなので、強制感あるのがおかしい。これは賛否両論あると思う。
あと戦争か。僕は戦争なんかするんじゃないよと思いながら何も情報を得てないけど、現状がどんなに悲惨かどうかとかとにかく目を逸らし続けてる。
戦争はどう考えても良くない。かと言って力を持たないのも今の世界としては難しいと思う。「みんな各自力を持っているが、その力は使わずに平和でいきましょう」ってのが結論だと思うんだよね。
一度戦争が起きたことで真似をする国もまだ出てくるだろうし、本当に悲しい。安倍さんの暗殺の件もヤバい。
というわけで空気は澱んでるけど、これらもSNS無かったらワンチャン回避できてたわけで、SNSは結構ヤバいんじゃないかと思ったわけです。
20年後とかに「Twitterってあったなー!あれはヤバかったよねーw」って感じでSNSが引き起こした悲劇をみんなが知って、草を生やす未来になると良いのだけど。
ここまでSNSを批判してますが、僕自身SNSが手放せないので本当にゆるっとしたコミュニケーションツールであるべきだと思う。。