自分という性格のバグ
これは本を読んだわけでも何でもない。好き勝手に書かせてもらう。
人には性格というものがあるけれど、要するに偏ってるわけです。普通だと思っていてもズレているわけです。
怒りっぽいとか、コミュ障とか色々いると思う。でも、何だか平均的に考えたものが普通だとして怒りっぽいとかコミュ障ってちょっとズレてるわけです。
そんな時、客観的に見たら怒りっぽいとかコミュ障は性格的にバグっていて、なぜかそのようにプログラムされた自分の脳みそと考えてみると冷静になれたりする。
めっちゃイラついた時、バグるプログラムが発動していて、それを無理矢理沈めたりすることができるようになったりする。アンガーマネジメント的なやつだ。
でも、僕はこの脳みそのバグを利用して怒りを鎮めるとかいうのは気持ち悪い。人間だもの。強制的に気持ちを踏み躙るようで嫌だ。
でもだ。客観的に見た時の「普通」は、その程度で怒らなかったりそんなにコミュ障なの!?ってビビったりするわけ。
普通に見せるというのは、とてもじゃないけど苦労することなのだ。そして、いうのを忘れてたけど普通の人というのはたくさんの人々が想像する、たった少数の人間なのかもしれない。
僕らはそんな理想的な普通を演じていく必要があるんだ。なぜなら社会や他人は意外とそんな自分を認識していたりするからだ。
カラオケの普通、恋愛の普通、免許は取ってる、お酒は適度に飲む、持つべきスマホはiPhone、家にテレビはあるか、車はあるか…といった普通を想像してみてほしい。
何だか、普通のヤツってすげーレベル高いことしてるんだよね。人としては「そのまま」でいいんだ。もちろん。
でも、社会というゲームの中では「そのまま」は大きく不利になる。ツラいね。。