何をしても無駄な世の中
主語がデカいな。今回は僕の中の狭い世界だと捉えて欲しい。今の世の中は何をしても無駄だ。
今楽しそうに暮らしている人たちも、実は不安に思いながら過ごしていたりするし、もう何もしなくていいんだ…と開放的な人もある程度あるのかもしれないけど、それはそれでつまらないと感じる人もいるだろう。
何か成功を収めた人というのは、意外と幸せではないかもしれない。楽しく過ごせている人は努力してきた結果だろうけど、何かを代わりに背負っちゃってるかもしれない。
さっきから仮定的な内容しか書いてないけれど、何かをするということに価値が無くなってきているような気がするんです。
だから、趣味とかで笑い合って楽しむことに全力になるべきなのかもしれないし、そこすらも踏ん張らなくても良いかもしれない。
一方、例えばディズニーランドとかでミッキーが動いてるとか、Vtuberが配信していて視聴者を喜ばせているとか、動いてるということに意味がある人というのは価値がある。
コンビニの店員や、工事現場の人とか、そんな人たちこそ今の時代大切なんじゃないだろうか。
でもそれらは日本を前進しているのではなくて、今の生活を長引かせているような感覚でしかなくて、積み上がらない消費的な感じになっている問題もある。
僕らの行動は、何かをして前進や進化させるようなものになっているのだろうか。
この記事を見ても「何か書いてあるな。ふーん。」と閉じる人もいるだろうし、「そんなこと意識したことなかった」と興味ある人もいる可能性は0ではない。
けれども、何だか前進的ではないし、進化してる感じもない。昔のビデオテープからDVDになっていく流れとか、DVDから Netflixみたいになっていく感じのように、今の世の中は維持でしかない気がしている。
数年前と違うのはパソコンやスマホのスペックが上がったことくらいなんじゃないかとさえ思う。AIがクリエイティブ周りに影響を与えてるのは一つ前進かもしれない。それとも別に進んでるわけじゃないのかもしれない。
何をしても世の中は無駄なのかもしれないし、実は継続させる意味ではとても大切なことをしているのかもしれない。
とか考えながら、コンビニのおにぎりを届けてくれてありがとうとか考えるのであった。