隠しノート

僕は能力のあるゴミです

僕らの趣味はお金にはなりません!好きなことも趣味もよく分からない人へ

誰しも何かしらやってしまうことはあるだろう。

その中でも、自分から行動するものが趣味だ。

もちろん、やらなくても良いことに限る。

 

テレビを観る、ネット観る、スマホいじる、アニメ観る、音楽聴く、本を読む、ゲームする。

 

僕にとってはこれらが趣味であり、こんな記事を読んでる人もだいたいこんな感じなんじゃないだろうか。これらが「まぁ、好き」程度のもんだ。僕らはそれくらいしか好きなものがないのだよ。

 

んで、趣味を仕事にとか、好きなことを仕事にとかってのは人生においてはそんなに重要じゃない。

※こんなことを言いながら、僕はそんなものをずっと探して苦しんでいる。

 

少なくとも好きなことを仕事にしている人というのはとても羨ましく見えるけれど、裏ではなかなか綿密にやっていると思う。

 

で、なんとなくやっちゃう趣味の中には「感想が聞きたい」「おすすめが知りたい」「個人的ランキングが見たい」「レビュー読みたい」とかとか、需要のある情報なんてものがある。

 

アニメブログとか、書評とか。

 

これらは一瞬お金になりそうなんだけど、僕ら程度の人間は生産者側には回らないほうがいい。やるとしても僕のようなダラダラした記事程度のものが限度だろう。

 

なんでかと言うと、世の中には「ガチのオタク」ってのがいてね、そういう奴らに僕らは到底敵わないのだ。文章力とか見やすさで勝てても情熱で勝てない。奴らはモンスターだ。

 

いやね?やろうと思えば努力で頑張ってお金を稼ぐことはもちろんできる。ビジネスに昇華はできる。でもそうじゃない。自分にしか出来ない手札は必ず存在するはずだ。僕は見つかってないけど。

 

僕ら人間は向いていることを本気でやった方が良かったりする。知り合いとかにアイツが本気になったらすごい人になれそう!みたいな人っていると思うんだ。

 

僕らは自分自身を客観的には観るのが難しいので誰かに聞いたりするのも良いかもしれない。僕も勇気を出して色んな人に聞いてみたりしてるけどまだ見つからない。

 

こうして文章を書けるのも自分の強みなのかもしれないけど、所詮この程度なのさ。みんなにはブロガーように映ってるかもしれないけれど、これは呼吸のようなもんだ。(適当に文章を書くのはある種の才能かもしれないけど、人を魅了するほどのクオリティまでは辿り着けないのだ。)

 

呼吸するようにできることは才能の原石である可能性がある。でも、僕らはこれを頑張って磨くよりも「得意なこと」を磨く方が将来を考えた時に絶対に役に立つ。

 

それで言うと僕は「自分が把握したものなら、できる」と言う当たり前の能力を持っていて、であれば、色んなことを出来るようにして幅広くやっていくことくらいしか出来ないのだ。

 

中途半端な人間でごめんなさい。でもこんな自分も好きで、こんなことしか出来ない自分が惨めだ。

 

覚えたことを組み合わせて、より得意なことを増やしたり活かしたりして人生楽しもう。と、自分に言い聞かせる。

 

 

本を読むのと人の話を聞くことの意味をもっと真剣に伝えよ

よく頭の良い人たちは「本を読め」とか「人の話を聞け」とか言うと思う。というか言ってる。

 

僕はかなり頭が悪いので、この本を読むことの重要性を30歳を超えてようやく理解したまである。でも少しずつ分かってきたこともあるので、頭の悪い人たちにも頭の良い人にも見てもらいたい。

 

まず頭の悪い人間ってのは本に出会わない。漫画には出会うけど、なんだかコンテンツの消費でしかない。※本来漫画にも伝えたいメッセージのようなものがあって、そこから教養を得ることはもちろんある。

 

頭が悪いと言うのは、自分だけで問題を解決することだと思う。だから答えが独りよがりになってしまう。しかも、論理もぐちゃぐちゃなわけだ。テストの解答を解けないのも教科書を解読できなかったりするからだ。それを教えてくれるのが先生だけど、先生の話すら理解できないと教科書も読めない。

 

でも自分の好きなことだと、ついつい調べてしまったりする。その調べるってのは大抵人の意見だったり、本を読んだりとかネットの記事を見たりとかすると思うんだよね。これは頭の悪い人でも同じ。

 

つまり、例えば今自分の得意なことがあったりするってのは大体誰かから教えてもらったことだったり、本から知識を得た内容だったりするわけだ。

 

人は一人では生きていけないとよく言うけれど、どちらかといえば、人は一人だとバカになるとか言った方がいい。

 

今こうしてiPhoneでこの記事を書いてるけど、まずiPhoneを作った人達がいて、このはてなブログを作った人がいて、サーバーを管理する人がいて、そのサーバーにもOSがあったりしてその OS作った人もいるし、パソコンのキーボードを作った人もいるし…みたいに考えると、人はたくさんの人に支えられて生きていることを実感できる。

 

頭の悪い人がまず知るべきなのは、「この世界は一人で成立していないことを自覚する」ことだ。気付くのが超大事。何かつまづいた時に「今一人で解決しようとしてない!?」と自問自答するようにする癖をつけたほうがいい。

 

で、今僕はあるVTuberの話を聴きながらこの記事を書いてるのだけど、僕は普段VTuberなんて見ないし、かなり珍しいのだけど、こうして話を聞くと言うことはその人の頭の中を覗いてると言うことなんだな。そして、この時に大切なのは話す側の人がしっかりと具体的に言語化をするということ。

 

言葉って抽象的にも伝わるし、具体的だとより鮮明に伝わる。この鮮明さと言うのはその人の脳みその中身をしっかりと絞り込んだものなんだ。僕がこうして文章にしてるのもできるだけ頭の中を取り出すように書いているけど、これこそが言語化と言えるかも。※本来はもっと相手に伝わりやすいように調整すべきだし、もっと伝わるような書き方があります。僕のは駄文だけど、雑に書かせてもらってます。

 

で、言語化と言いましたが、本ってのはその言語化したものを限りなく分かりやすく編集した上で本屋に並ぶクオリティのものなんだよね!つまり、一冊何か気になる本を読んだだけでもそれは「知識」だし、優位に立てる。優位に立つと言うか、前進してる。学習してるって感じ。

 

これこそが僕は「勉強」だと思う。この記事は「本の重要性をみんなに気付かせる」という内容ですが、この記事ですら僕の知識を不器用なりに伝えようとしてるものなんだよね!でも残念ながら、バカが書いたものはクオリティもバカなのだ。僕はバカクオリティの脳みそを使ってこの記事を書き出しているわけだから、書いてあることは信用に値しないものかもしれない。

 

そこで、頭の良い人はこうしたバカの記事を見たとしてもなんか良い感じに「この人はこう言うことが言いたいんだな」ってのを、受信してくれたりする。頭の良い人は言わば、たくさんの本を読んだり人の話を聞いた人の先駆者であって、尚且つ脳みその構造も元々良かったりする人なんだ。

 

で、そう言う人が「なるほど!頭の悪い人にはもう少し本を読むことの重要性をしっかり伝えないといけないんだな!」ということを汲み取ってくれて、世の中に広めてくれるというのをなんとなく期待している。他力本願だ。

 

でも、人は一人ではないわけだから、バカにできるのは「分からん」と言うことをこうした形でもしっかりと相手に伝えることくらいなんだ。

 

誰かが考えたことは、誰かの糧になるし、その糧は道具にもなるし、その道具を使って新しい何かが出来てという繰り返しの世界に僕らは生きている。バカな僕らも頭の良い人も、誰かが考えてくれたことを知識として蓄えていこうぜ!

ADHDかと思ったら性格がINFPで、ADHDについて考えさせられた

注意欠陥、多動性障害。ADHDと言われますが、僕はその特徴にめっちゃ該当するタイプの人間です。心療内科にまで診てもらったことすらある。でもADHDかもしれないし、そうじゃないかもしれないという診断だった。

 

あんまりADHDということを悩んでも仕方ないということがこの記事では伝えたいのです。

 

んで、みんなに知ってもらいたいのは性格診断だ。あの16タイプのやつ。MBTI的なやつだ。

ちなみにこっちの動物のやつの方がカジュアルなんだけど分かりやすいからオススメです!

https://16test.uranaino.net/

 

僕はそれのINFPに該当するのですが、そのINFPの特徴をよく見てみるとよく空想したりして現実に戻ってこれなくなる的な特徴を持っているらしい。これがまさしくADHDっぽさなのだ。

 

ちゃんと書くとINFPは

・直感が鋭い

・芸術性がある

・空想家

・共感力ある

みたいなのが並ぶのだ。マジであってる。

※ちなみに勘違いしてはいけないのは、これらのステータスのようなものはあくまでも傾向なので才能ではない。俺は芸術家にはなれん。

 

で、性格診断とかは信じてなかったのですが、これは結構信じてみてもいいのかな!ってくらい特徴が合致していたので、このMBTIを信用するならADHDという病気はそのような性格の人まで巻き込んでるように思えるんだよね。

 

これは発達障害なのか…みたいな。お金が稼げるからADHDを流行らせて、該当者増やしたみたいな感じだと思う。もちろん世の中には本当に多動症だったりする人もいると思うので、ADHDは嘘!とまでは言いませんが。

 

注意力散漫なのをどうにかしようとしても、INFPはどうしようもないし、空想してしまったり寄り道してしまう思考をどうにかして元に戻すみたいな環境を作るしかないですね。。通知botやらタイマーやらで。

 

あとそもそも人は面倒くさがりだし、普通に集中して仕事できるタイプの人は、普通にすごい人だし、あんまり思い悩む必要はないなぁとここ最近は考えてます。

 

かと言ってINFPの空想はほぼ無駄だし、社会の適応できないしでマジでクソだと思う。

 

僕は自分を追い詰めて勝手に絶望して、ある意味納得いく形に落とし込んだけど、本職として芸術家の道には安易に進まないほうがいい。子供の頃から絵を描いてたりとかなら別だけども。あと趣味でやってるくらいなら。

 

INFPは天才でもなんでもない。天才のように見えるのは、その分一応深く考えたからで、一般的に頭の良い人が考えた内容の方がよっぼどわかりやすくて天才だ!僕のようなバカが生み出した答え(この記事ね)なんて、気休めに過ぎない。

 

とりあえず言えるのは、ガチで生活に支障出てる人以外のADHDは被害者ぶるな。それは多分内向的な性格に過ぎない。その性格である自分を無理してでも受け入れろ。そして、諦めるのだ。上を見るんじゃない。ちょっと意味違うけど、地に足をつけろ!

 

多分INFPの人ってのは色んなスキルを身に付けてると思うから、そんな感じで「便利屋さん」とか「この人に頼めばなんとかなる」的なポジションは最低でも取っておきたいね。

 

それだけで他の人よりは優れた立場にはいける。でも、僕らができるのはその程度だ。諦めるのだ。

SNSはやはり罪深いサービスで人々を歪ませたツールなのかもしれない

これは個人の感想です。タイトルは大袈裟です。

 

今社会問題は色々あるけれども、戦争とかコロナによって人々はやや萎縮気味だったりする。2010年代の気楽さ、2000年代のSNSが無い頃の感覚を思い出さないとダメなんじゃないかと思う。幸せが失われていく感がある。もちろん僕個人は幸せだけども。

 

イーロンマスクのTwitterの方針転換は、Twitterが有料となって「お金にほんの少し余裕のある人の娯楽」程度になったら嬉しいな。TwitterFacebookは特に今の日本をダメにするツールになってると思う。

 

SNSは特に「人が目指すべき先が見えてしまう」ツールだと思っていて、僕が素人なりに影響を受けたのは芸能人の悩みとか、アイドルの苦悩とか、高学歴の人でもヤバいとか、思ったよりアホな人が多いとかとか。なんだか、夢が見れなくなってしまった感覚というのかな。見えすぎてしまう。ちなみに僕はこれらの情報が無ければ間違えて、有名人になろうと足掻いて一生を終えたと思う。(これは個人的に良かった笑)

 

その上で今は多様性の波がきてるよね。日本だとそこまで馴染みなかったと思うけど、海外ドラマとかゲームとかの表現で多様性の波がなだれ込んできてる。だからトランスジェンダーとか受け入れよう!みたいになってる(悪いことじゃないよ!)。これもSNSが無かったらこうなってなかったのかもしれない。そんな主張がSNSで出回り拡散されて作品にも影響したんじゃないかと。

 

というわけで、SNSの負の側面は思うに将来を閉ざし、情報の圧力に押し流されてしまい、個人の主張が歪んでしまうことにあると思う。これはフェイクニュースとかも含む。

 

良い側面としては、上手く使えば影響力のある発言ができて、承認欲求が満たされることくらいかなと。あとは良い商品やサービスを浸透させる力はあるかも。

 

まぁ、こんな感じでSNSがちゃんと活きるのはゆるいコミュニケーションと、マーケティング領域くらいかなぁと。

 

ライフログとしてはあまりに向いてなさすぎるし、個人の感想も下手すれば悲しい気持ちになったりするわけだ。SNSはもはや個人がルンルンで使える優しい世界のものではない。気がする。

 

あとコロナはもういい加減受け入れるしかないかと。病状がキツいのも分かるけれど、それも受け入れるしかない。マスクをつける空気感とかもう終わりみたいになって良いと思う。マスクはつけたい人が付ければ良いものなので、強制感あるのがおかしい。これは賛否両論あると思う。

 

あと戦争か。僕は戦争なんかするんじゃないよと思いながら何も情報を得てないけど、現状がどんなに悲惨かどうかとかとにかく目を逸らし続けてる。

 

戦争はどう考えても良くない。かと言って力を持たないのも今の世界としては難しいと思う。「みんな各自力を持っているが、その力は使わずに平和でいきましょう」ってのが結論だと思うんだよね。

 

一度戦争が起きたことで真似をする国もまだ出てくるだろうし、本当に悲しい。安倍さんの暗殺の件もヤバい。

 

というわけで空気は澱んでるけど、これらもSNS無かったらワンチャン回避できてたわけで、SNSは結構ヤバいんじゃないかと思ったわけです。

 

20年後とかに「Twitterってあったなー!あれはヤバかったよねーw」って感じでSNSが引き起こした悲劇をみんなが知って、草を生やす未来になると良いのだけど。

 

ここまでSNSを批判してますが、僕自身SNSが手放せないので本当にゆるっとしたコミュニケーションツールであるべきだと思う。。

エンジョイ勢とガチ勢を2つに分けるのはムズい。

何度も何度もTwitterで話題になるけど、エンジョイ勢とガチ勢は簡単に2つに分けるのはそもそも難しい。

 

一つの例として適当に定義っぽくしてみよう。

エンジョイ勢は、楽しさ優先で勝ち負けには拘らない。ゲームは下手でもいい。

ガチ勢は、ゲームが上手くて、勝利が全て。

 

なんて分け方をしたら、いやいや負けにも意味はあるだとか、エンジョイ勢だけど最低限のうまさは必要じゃね?みたいな話が出てくる。

 

楽しみ方にはいくつも種類がある。

人と話すだけで楽しい人

人と一緒にいるだけで楽しい人

ゲームをプレイするだけで楽しい人

ゲームの上手さが噛み合ったりするのが楽しい人

ゲームが上手くて雑談も一緒に楽しみたい人

勝利することが楽しい人

勝利を目指すのが楽しい人

勝利をしながら適当にだべるのが楽しい人

 

エンジョイにもめちゃくちゃあるわけだよ。だから、エンジョイ勢と一括りにするのはそもそも間違えてる。ガチ勢も同様。

 

MBTIのような性格診断テストがありますが、ゲームの熱量の性格もおそらくたくさんの分類があって、それを2つに分けるとエンジョイ勢とガチ勢になってしまう。

 

陽キャ陰キャの分け方とほとんど一緒。

陰キャだけどディズニーランドは好きとかあるでしょ?そんな感じ。

 

だからゲームを一緒に楽しむってのは思った以上に難しいことだったりするのかもしれない。

 

ただただ笑い合うだけが楽しい人もいれば、協力が楽しい人もいれば、勝つことが目的の人もいる。

 

楽しさの軸と熱量の軸がグラデーションのようになってると思うので、ただエンジョイ勢やガチ勢で分けるのは違うのかなぁと思ってます。

 

熱量と楽しさの方向性が一緒の人が遊んだら、その場が確実に楽しくなるのかが気になるのと、ゲームで遊ぶ際の気配り方のようなものが明確になると良くなりそう。

自分という性格のバグ

これは本を読んだわけでも何でもない。好き勝手に書かせてもらう。

 

人には性格というものがあるけれど、要するに偏ってるわけです。普通だと思っていてもズレているわけです。

 

怒りっぽいとか、コミュ障とか色々いると思う。でも、何だか平均的に考えたものが普通だとして怒りっぽいとかコミュ障ってちょっとズレてるわけです。

 

そんな時、客観的に見たら怒りっぽいとかコミュ障は性格的にバグっていて、なぜかそのようにプログラムされた自分の脳みそと考えてみると冷静になれたりする。

 

めっちゃイラついた時、バグるプログラムが発動していて、それを無理矢理沈めたりすることができるようになったりする。アンガーマネジメント的なやつだ。

 

でも、僕はこの脳みそのバグを利用して怒りを鎮めるとかいうのは気持ち悪い。人間だもの。強制的に気持ちを踏み躙るようで嫌だ。

 

でもだ。客観的に見た時の「普通」は、その程度で怒らなかったりそんなにコミュ障なの!?ってビビったりするわけ。

 

普通に見せるというのは、とてもじゃないけど苦労することなのだ。そして、いうのを忘れてたけど普通の人というのはたくさんの人々が想像する、たった少数の人間なのかもしれない。

 

僕らはそんな理想的な普通を演じていく必要があるんだ。なぜなら社会や他人は意外とそんな自分を認識していたりするからだ。

 

カラオケの普通、恋愛の普通、免許は取ってる、お酒は適度に飲む、持つべきスマホiPhone、家にテレビはあるか、車はあるか…といった普通を想像してみてほしい。

 

何だか、普通のヤツってすげーレベル高いことしてるんだよね。人としては「そのまま」でいいんだ。もちろん。

 

でも、社会というゲームの中では「そのまま」は大きく不利になる。ツラいね。。

凡人の立ち回り

人生には立ち回りが存在する。対戦ゲームとかやってると立ち回りについて考えたりするんだけど、人生にもありました。

 

ルールがあって、勝ち負けがあるものには立ち回りが必ず存在する。んで、立ち回りってのはゲームに勝つための状況判断のことですが、特に普段の人間関係というのはぶっちゃけ何も考えずに適当にすごしたいものだ。

 

これは神経質になりすぎてもいけないし、神経質にならなさすぎるのも良くない。んで、この立ち回りってのは小学生あたりから機能してしまうと思う。

 

例えば虐められないようにするには自分が強くなって虐め側に回るとかだ。(本当にいじめたらダメです)

 

正しくはイジられないように普通に過ごすには、オシャレをして、恋人を作って、良い印象を与える部活に入って、成績優秀でみたいなダサくない状態に仕立て上げたりすることが大切だ。まぁ、もうあんな閉鎖空間には行きたくないが。

 

というように、大人になったらより立ち回りは慎重にならなければいけない。

 

今の日本は特に難しい。

 

一般的には…

・ストレスのない人間関係の職場に就職する

・将来的にも組織が良い感じに維持できるところに就職する

・給料の良いところに就職する

・自分が得意なことができる、学びがある会社に就職する

・一度自営業を目指して金稼ぎについて学ぶ。会社の仕組みを知る

・社内で評価されるように仕事する(立場を上に上げていく)

 

というものだ。

 

んで、これは就職に限った話だが、これが恋愛やらSNSやらゲームやら色々と立ち回りが存在し、それぞれをしっかりこなさないといけないのだ。いけないというよりもそっちの方が楽になる。

 

最初から完璧を目指すと無理なので、一つずつこなせるようになっていくとだんだん良い感じになってくる。

 

無理はしてはいけない。一つずつやっていくのだ。